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2011. 02. 26.

テスト運転中
やっとできました!好きなものを紹介するのって、難しいです・・・
何から話してよいのやら、さっぱり。
慣れない文章で読みにくいかも知れません。また徐々に直します。

*このコーナーでは、資料が手に入りにくいハンガリーアニメ作品を
できるだけ多くの方に知ってもらえるよう
ファンである筆者(なぽちか)がイラストに描き直したものを使用しています。
万が一、著作権を侵害するようでしたら、取り除きます。
ただいまご本人様方に確認中ですが、念のため。

2011年6月15日〜19日に、
ハンガリーのケチケメート市でKAFFアニメフェスティバルが開催されます!
詳しくはwww.kaff.hu/まで!!

 

さっそくハンガリーアニメの歴史を知りたい!

 

 

ハンガリーアニメーションの歴史

1, 誕生と試行錯誤

1914年、ハンガリーで初のアニメーションが誕生。
それがカトー=キスリ・イシュトヴァーン ( Kató – Kiszly István )の『ジルブ・ウドゥン ( Zsirb Ödön ) 』である。
続いて、1921年に昆虫をモチーフにした影絵アニメーション『ロミオとジュリエット ( Rómeó és Júlia )』を制作。
また1932年も同様の手法で、ハンガリー初のカラー短編娯楽アニメーション
と呼ばれる『昆虫たちの音楽会 ( Bogárorféum )』を完成させる。
しかし、当時は娯楽作品に対する需要が少なく、彼は後に教育関連の作品を数多く手掛けた。

 

一方、実写との合成を試みた作家もいた。
それが、ヴァルケル・イシュトヴァーン ( Valker István ) と子役のポリィ・アーギ( Polly Ági )である。
ヴァルケルはテメシュヴァール ( 現ルーマニア、トランシルヴァニア地方都市のティミショアラ ) 出身で、
同地のストッキング工場長ポッラーク・ゲーザ ( Pollák Géza ) の依頼を受け 、
ポッラークの娘アーギを主演にフィルムを制作した。
それが後に生まれる「ポリィ・アーギ・シリーズ」である。
歌と踊りが得意なアーギは、ヴァルケルの描くアニメーションにリズムを与え、命を吹き込んだ。
第一話 『タップダンス( Sztepptánc ) 』 ( 1934 ) 、第二話『 チロル・ダンス ( Tiroli tánc ) 』 ( 1936 ) 、
そして最も興行成績を上げた
最終話『ロシアの夢 ( Orosz Álom ) 』( 1938 ) 。
これらは20年代にディズニーで制作された『アリス・コメディ ( Alice Comedy ) 』シリーズに
対抗する作品としてヒットを飾る。

 

 

 

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2, 20年代〜30年代:コマーシャルフィルム、ニュース映画に使われたアニメーション

20~30年代に入ると、アヴァンギャルド運動と並行して「商業デザイン」への関心が高まる。
当時、世界的に活躍していたハンガリー出身の画家ボルトニク・シャーンドル ( Bortnyik Sándor ) がブダペストに戻り、
広告デザイン工房を開いていた。そんな中「ハンガリーアニメーションの父」、マチカーッシ・ジュラ ( Macskássy Gyula ) が登場する。
彼も工房へ通い始め、同地で知り合ったハラース・ヤーノシュ ( Halász János )、
カッショヴィツ・フェーリックス ( Kassowitz Félix ) らと意気投合し、1932年にスタジオを設立。
フルカラーアニメーションスタジオを目指し、「コロリトン ( Coloriton )」と名付けた。
スタジオ・コロリトンでは主にコマーシャルフィルムが制作される。
ハンガリーの薬草酒ウニクムのCM、靴磨きクリームのCM、タングスラム・ランプのCMなどが
色鮮やかな描画・人形アニメーションとして生み出された。
途中、メンバーの脱退や入れ替わりを経験しながら、マチカーッシ自身が徴兵される1945年まで、
実に150本ものコマーシャルアニメーションを世に送り出した。

 

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3, 40年代〜50年代:映画製作の国営化

1948年、ハンガリーで映画製作が国営化される。
すると次々と若い作家が海外へ亡命し始めた。

ハラースは1930年代に渡英している。そして1936年、
イギリス人の妻ジョイ・バチェラー ( Joy Batchelor ) とともに
「 ハラス & バチェラー・カートゥーンズ ( Halas and Batchelor Cartoons ) 」をロンドンに創立。
やがてハラスの企業は世界的に有名なアニメーションスタジオへと成長する。
代表作は、1951年製作、ジョージ・オーウェル原作の『動物農場( The Animal Farm )』 。
この作品は、2009年にジブリ美術館の配給で日本でも公開されている。

 

一方、祖国に留まったマチカーッシ。
彼はわずかなメンバーを率いて1951年にハンガリー初のフルカラーアニメーションを完成させる。
ハンガリー民話を丁寧に描いた『小さな雄鶏のダイヤモンドコイン ( A kiskakas gyémánt félkrajcárja ) 』である。
この作品はハンガリー映画業界に驚愕を与えた。
ストーリーあり、キャラクターありの斬新な娯楽映画に誰もが驚き、
「アニメーション」という新しい世界に胸躍らせたのである。

 

やがて50年代に入ると、
マチカーッシは風刺画家ヴァールナイ・ジュルジ ( Várnai György ) と共同で
短編アニメーションを制作しはじめる。
中には、世界保健機構 ( WHO ) から依頼を受けて制作した『 ちっぽけな人間、大都会 ( Kis ember, Nagy város ) 』(1967 )
という大気汚染への注意を呼びかける作品も作られた。

 

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4, 60年代:アニメーションの飛躍的な発展

60年代に入ると、テレビアニメーションが花開く。
ネップ・ヨージェフ監督の『グスターヴ ( Gusztáv ) 』 ( 1964 ) や
『メ―ズガ・ファミリー ( A Mézga család ) 』( 1968~)などのテレビシリーズは国内を問わず有名である。
人間味があって、どこか憎めないキャラクターがハンガリー以外の国でヒットしたのも頷ける。
また『グスターヴ』シリーズは、若い監督たちの登竜門でもあった。一話5分の物語をいかに演出できるかが問われた。
こうして、後に『英雄時代 ( Daliás idők ) 』( 1982 ) を手懸けたゲーメシュ・ヨージェフ ( Gémes József ) 、
アカデミー賞受賞監督ロフス・フェレンツ ( Rofusz Ferenc )、
ハンガリーで大人気の劇場アニメ『ねこ捕り大作戦 ( Macskafogó ) 』( 1987 ) のテルノフスキ・ベーラ ( Ternovszky Béla ) も
『グスタフ』シリーズで頭角を現し、羽ばたいていった監督である。

 

 

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5, 人形アニメーションの発達

また、人形アニメーションが本格的に作られはじめたのも60年代だった。
この時代は、ちょうどセルや人形によるアニメーションの需要が大幅に拡大した時代でもあって、
国営映画スタジオ内に特別にアニメーション部門が設けられたほどだ。

 

やがてその部署は独立し、 ハンガリー最大のアニメスタジオ
「パンノーニア・スタジオ ( Pannónia Filmstúdió ) 」と改名される。

 

当時の人形アニメーションは、主に国営テレビ局のマジャルTVで放送されている。
ハンガリー初の人形アニメーションは1948年のオルチャイ・キシュ・ゾルターン ( Olcsai Kiss Zoltán ) の
『ロバに跨がり、羊飼いが行く ( Megy a juhász szamáron ) 』であるが、
人形デザインも当時に比べて飛躍的に進歩を遂げている。

 

最も有名な人形アニメーションといえば、
フォキ・オットー ( Foky Ottó ) の「テレビ子グマちゃん ( TV maci ) 」というキャラクターだろう。
テレビ子グマは、1964年から毎晩マジャルTVで放送されていた
子ども向け番組『おやすみ前のおはなし ( Esti mese ) 』のマスコットキャラクターである。
その愛らしい動きは、チェコの巨匠トルンカ ( Jiří Trunka ) の人形を彷彿とさせる。

 

あと忘れてはいけないのが、みどり色の子豚『マジョラ ( Mazsola : ハンガリー語で「干しぶどう」の意味 ) 』( 1963 ~ ) である。
人形デザインに携わったブローディ・ヴェラ ( Bródy Vera )も、
脚本家で児童文学作家のバーリント・アーグネシュ ( Bálint Ágnes ) も同じく女性である。
いたずら好きで甘えん坊のマジョラ、
妹分でピンク色の生き物ターデー ( Tádé )、
そしてお母さん代わりの妖精マーノチカ ( Mánocska ) たち ー

彼らのどかな日常を描いた人形劇は、大人から子どもまで楽しめる作品だ。

 

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6, 70年代〜80年代:ハンガリーアニメーションの黄金時代

では、セルアニメーションに話を戻そう。
当時は、ほとんどの作品が「 パンノーニア・フィルムスタジオ ( Pannónia Filmstúdió ) 」で作られた。
このスタジオはハンガリー最大の国営アニメーションスタジオと呼ばれているが、全盛期には世界でも指折りのアニメスタジオへと大成長を遂げた。

中でも、ヤンコヴィチ・マルツェッル ( Jankovics Marcell ) と ロフス・フェレンツ ( Rofusz Ferenc ) の功績は特筆すべきであろう。

 

ヤンコヴィチは、1973年にハンガリー初の長編アニメーション『勇敢なヤーノシュ ( János Vitéz ) 』を発表。
映像では再現不可能と呼ばれたペトゥーフィ・シャーンドルの壮大な叙事詩を見事にスクリーンで見せつけている。
だが、引っかかることがひとつ・・・
彼のスタイルが1968年NFBの監督ポール・ドリエッセン製作で、
英国バンド「ビートルズ」の名曲『イエローサブマリン ( Yellow Submarine ) 』に少し似ているではないか・・・
この点についてはヤンコヴィチ本人も「影響を受けた」と語っている。

 

一方、ロフスはハンガリー初のアカデミー賞をもたらした。
1980年のことである。
しかし、ロフスが授賞式への出国は許可されることはなかった。

 

わずか4分、されど作画数3000枚を越える懇親の異色作『 ハエ ( A légy ) 』は、本当にハエの視点になって人家に迷い込むようだ。
これをロフスとアシスタントの2人だけでやり遂げた。
背景丸ごとをアニメーションさせ、驚くほど躍動感の溢れる一人称クレヨン・アニメーション。
この作品に日本の手塚治虫氏も感化され、後に実験アニメーション『ジャンピング ( Jumping ) 』( 1984 ) を制作するに至ったと、手塚氏本人は語る。

 

こうして80年代に黄金期を迎えていたパンノーニア・スタジオ。
ダルガイ・アティッラ( DargayAttila ) 監督作『子ぎつねヴク ( Vuk ) 』( 1981 )や 、
ゲーメシュ・ヨージェフ ( Gémes József ) 監督の油絵による超大作『英雄時代 ( Daliás idők ) 』( 1982 ) など
多くのハンガリーアニメーションが国内外で賞を獲得した時代である。

 

また、マジャルTVからのテレビアニメーションの受注が盛んであった当時、
ヤンコヴィチ監督『マジャルの昔話 ( Magyar Népmesék ) 』( 1978 ~ ) シリーズの製作がスタート。
ハンガリーで、この作品を知らない人はいない。
民話をモチーフに、ハンガリー刺繍のような緻密で豊かに装飾された世界観が大ヒットした。
『マジャルの昔話』は、やがて「ケチケメート・フィルムスタジオ ( Kecskeméti Filmstúdió ) 」の代表作となる。
この作品は2011年現在に至る約30年間製作され続けた長寿番組。本年、第100話を最後に完結する予定だ。

ちなみに日本では『ハンガリアン・フォークテイルズ』の名前で
アニドウ・フィルムからDVDが販売されている。

 

他にも長く活躍するキャラクターが存在する。
それが、絵本作家マレーク・ヴェロニカ ( Marék Veronika ) 原作、リッヒリ・ジョルト ( Richly Zsolt )監督の『チェック耳のうさぎ ( Kockásfülű nyúl ) 』( 1978 ~ ) である。
みどりの身体にピンクのチェック柄の耳の愛らしいうさぎのキャラクターで、今日では物語から飛び出して、様々なグッズに変わって私たちの目を楽しませている。

 

また、80年代のハンガリーアニメーションといえば、個性豊かな作家が輩出された時代でもあった 。
鮮やかな色彩感覚で、力強いフォルムを躍動させる女性画家ケレステシュ・ドーラ ( Keresztes Dóra ) 、
彼女の夫でM.C. エッシャーのような錯覚的世界を描く画家オロス・イシュトヴァーン ( Orosz István )、
日本でもCMになった砂のアニメーション作家ツァコー・フェレンツ ( Cakó Ferenc )。

多くの新進気鋭の作家たちがハンガリーだけに止まらず世界中で、
多種多様な分野で受賞を飾り、今日のハンガリーアニメーションを代表する作家として登場している。

 

 

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7, 90年代:ハンガリー体制転換とアニメーション製作の低迷

しかし、1989年にハンガリーが体制転換を迎えると、テレビ局からの注文が激減。
経費削減のため最新技術の導入が遅れるなど、ハンガリーでのアニメーション制作は困難を極めた。
そして、1993年にパンノーニア・スタジオが民営化。 実質的な、倒産とも言えるだろう。
結果、独立したアニメ作家たちは自身で基金や企業の助成金に申請して制作資金を調達するより他はなくなったのである。

 

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8, 新たなスタジオ、ケチケメートスタジオ

だが、朗報もあった。
1971年に、パンノーニア・スタジオの支部として活躍していた「ケチケメート・フィルムスタジオ ( Kecskeméti Filmstúdió ) 」が独立。
徐々にハンガリーを代表するアニメスタジオとして頭角を現していたのだ。
意欲と才能に溢れたケチケメートスタジオでは、
1985年にハンガリー初のアニメーションフェスティバル「KAFF (Kecskeméti Animáció Film Fesztivál ) 」を開催。
以来、KAFFフェスティバルは2年に一度ケチケメート市で開催され、
審査員にはNFBのコ・ホードマン( Co Hoedeman )やASIFA会長の木下小夜子、
ジョン・ハラスの娘であるヴィヴィアン・ハラスなど、各国の著名人を迎えている。


また、海外のアニメーターを招聘するための奨学金制度を設けるなど意欲的に活動しており、
ケチケメートスタジオから巣立っていく若いクリエーターも多い。
同スタジオの成功は国内に留まらず、仕事の依頼を受けた他国のアニメーションも数多くの賞に輝いている。

 

その中で、オスカーノミネートされた作品が、
アイルランドのスタジオ「カートゥーン・サロン ( Cartoon Saloon ) 」製作、
トム・ムーア ( Tomm Moore ) 監督作品「ブレンダンとケルズの書の秘密 ( The Secret of Kells ) 」 ( 2010 ) であった。


ケチケメートスタジオの代表作『マジャルの昔話』の装飾的な世界観にインスパイアされたムーア監督は、
直接ケチケメートへ仕事の依頼したと、ケチケメートスタジオ社長ミクラーシュ・フェレンツ ( Mikulás Ferenc ) は語る。


直近の外国作品は、
フェルナンド・トゥルエバ ( Fernando Trueba ) ・ハビエル・マリスカル ( Javier Mariscal ) 両監督の
キューバ音楽がリズミカルなアニメーション『チコとリタ ( Chico and Rita ) 』( 2010 ) である。
オランダの国際アニメーションフェスティバル2010 ( Holland Animation Film Festival ) で最優秀賞を飾るなど、本年も注目の作品だ。

 

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9, そして、現代・・・

2011年現在、ハンガリーにおいてもCGI・3Dアニメーション制作が盛んになっている。
2007年度オスカーノミネート『マエストロ ( Maestro ) 』 ( 2005 )
を製作したM.トート・ゲーザ ( M. Tóth Géza ) 監督率いる「スタジオ・火曜日( KEDD STUDIO ) 」や、
ハンガリーの黒澤明賞とも言われる「バラージュ・ベーラ賞」受賞監督トート・パール ( Tóth Pál )
による「パヤ・フィルム ( Paja Film ) 」スタジオが次世代のハンガリーアニメーションを担っている。

 

一方で、多くの芸術家を世に送り出してきた「ブダペスト工芸芸術学校 ( az Iparművészeti Főiskola ) 」であるが、
今日は「モホリ=ナジ美術大学( Moholy – Nagy Művészeti Egyetem ( MOME ) ) 」と名を改めて、
本格的なアニメーション教育を行っている。

 

さらに、
今回特集記事を書かせてもらった今旬のアニメーション作家の方々、
ソボスライ・エステル監督『頭の中の妖精たち ( A fejlakók ) 』( 2009 ~ )シリーズ、
トート・ロラーンド監督『ワインセラーで思いに耽って ( Gondolatok a pincében ) 』 ( 2010 )の活躍がとても楽しみである。


そして、残念ながらまだ直接取材できていない
バッライ・トート・ロラーンド監督 ( Ballai Tóth Rolánd ) 『2.70フォリンとのレトロ缶 ( Az ára 2.70 Ft ) 』 ( 2010 ) や、
『生命線 ( Lifeline ) 』( 2006 ) で数々の賞を総なめにしたドゥツキ・トメク ( Ducki Tomek ) 、
『おしまい ( FIN ) 』( 2009 )をMOME卒業後に監督したグラーゼル・カタリン ( Glaser Katalin )、
KAFFで受賞を飾った『アリアドネの糸 ( Ariadné Fonala ) 』( 2009 ) のベルトーティ・アティッラ( Bertóti Attila )など、
若いクリエーターの今後の活躍にも期待したい。

 

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